ソフィア・コッポラ監督作、映画『ヴァージン・スーサイズ』を観た。

ヴァージン・スーサイズ [DVD]

ヴァージン・スーサイズ [DVD]

 ソフィア・コッポラが監督する『ヴァージン・スーサイズ』。アメリカ、ミシガン州に住む五人の美人姉妹が全員自殺してしまうという話。1970年頃アメリカで起きた実際の事件を元に書かれた本『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』ジェフリー・ユージェニデス著を原作として映画化された。映画の原題はそのまま『The Virgin Suicides』。最後の文字が複数形になっていることがとても悲しい。
 
 俺は、舞台の街に、とても鬱屈として逃げ場のない感じを抱いた。何をするにしてもすぐに街中の噂となって、人の目を気にしないでは生きられない感じ。街の趣こそ違え、日本における多くの街も似たようなものだろうか。きれいな家に、おしゃれな郵便ポスト、整えられた庭。そこには理想的な家族が住むであろう空間が広がっている。だけど、そんな家で生活するのは、素晴らく人間が出来た人々ばかりじゃないと思う。多くの場合いたって普通の、いいところがちょっとあって、わるいところもちょっとある、そんな人達だろう。
 
 そんな街で暮らす五人姉妹の両親は敬虔なクリスチャンでとても厳格。父親は数学の教師をしており、母親は専業主婦である。度々映る彼女たちの家での生活ぶりを観ていて、その生活に遊びというかリラックスというか、そういうものを感じることがでず、なんだか人を鬱屈とさせるものがあると俺は感じた。
 
 外にも内にも逃げ場のない状況。それはもう観ているだけでキツイ。
 
 俺は映画を観ながら自分の過去を思い出していた。高校時代、学校にいけば受験競争を煽られ、校則でがんじがらめにさせられ、家に帰れば、仕事がうまくいかず荒れる父、そんな父を軽蔑する母を見てとてもきつかった。高校も家にも俺の居場所なんてなかった。
 
 それでも、俺の場合はまだ、外にも一部逃げ場があった。比較的都会に近かったので学校をサボってふらふらとして、時間をつぶすことが出来た。そして今ではこうやってネットにも自分の中の澱を吐き出す場所がある。
 
 だけど彼女たちはは全く逃げ場がなかっただろう。そんな状況で何を思い自ら命を絶ったのだろうか。ただその状況から逃げ出したかっただけなのだろうか。映画では、自死の動機を思春期特有の憂鬱が原因だとすることは安易であるといっている。
 
 何が彼女たちを追い詰めたのか。時代の空気だろうか、鬱屈とした街だろうか、そこに住む人間だろうか、厳格な両親だろうか。はたまたそれらの総体であろうか。日々の暮らしが辛い、生きる希望がない、死にたい、と口ではいうものの、生への執着を捨てきれず、この歳までむざむざと生きてしまった俺のような凡俗には全くわからない。

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

 

吐き気のする風景 ー ゴミ箱ダイバー