久しぶりの再会なんてろくなもんじゃないという話

 今日は珍しく定時に仕事が終わったので、本でも買ってゆっくり家で読もうと、本屋に立ち寄ったんだけど、偶然、大学時代の知人にばったりと出くわしてしまった。「出くわしてしまった」というのは勿論、その再会が俺にとってはロクでもないものだったということだ。
  
 俺は大学卒業以来、大学時代の知り合いとは全く会わず、連絡もとっていなかったので、その友人とは数年ぶりの再会だった。なので話は自然とお互いの近況のこととなり、仕事のことなどを中心に話しあった。しばらく話して足が痺れてきたので、立ち話もなんだし飲みにでも行くか、と言いかけたけれど、早く家に帰って本が読みたいという気持ちが勝ってしまって、その言葉を飲み込んでしまった。その後、話は大学時代の共通の知人のことにも及び、仕事のことプライーベーなことなど、それはそれで楽しい会話だった。
 
 結構な立ち話だったにもかかわらず、幸か不幸か相手も俺を飲みなどに誘うこと無く、会話を終え、彼と別れて、俺は家路についた。俺がもし世間並の感覚をもっているとしたら、今日はツイている日だとほくそ笑むかもしれない。定時に仕事が終わり、昔の知人にも会いそこそこ楽しい会話もした。だけど俺にはそんな世間並の感覚はなかったようだ。家まで帰る道のり、俺の気分はだんだんと憂鬱になって、家に到着する頃にはその憂鬱が俺の頭から体、全てを支配してしまった。
 
 それは勿論、感傷グセのある俺の自意識のせいだろう。昔の知人が仕事に、家族になんだかんだと上手くやっている話を聞いて、そのことと自分の生活とを比較してまって、情けなくなってしまった。いつまでも独り身で、仕事ばかりしていて、たまの休日には映画を観たり、本を読んだりと、なんの生産性もないことをしている。こうして自分の生活がダメだと思えば、知人の生活が輝いて見え、羨ましくなり、更に自分の生活がダメに思えてくる。そんな精神的負のスパイラルに突入してしまって、抜け出せなくなったというわけだ。
 
 こうしてブログを書いている今、昔の知り合いとの再会などろくなもんじゃないとすら思えて来てしまった。しばらく会っていなかった知人と再会すれば、必ずお互いの近況報告となる。それはまるで人生の通知簿の見せ合いだ。別れた日から再会するまでの間、お互いが何を考え、どのように過ごし、人生を構築してきたのか、そんなことを披露しあうトンデモナイ時間。
 
 世間並みに、あるいはそれ以上に上手く人生を構築してきたものは臆することなく堂々と通知簿を相手に披露し、どんなもんだと次は相手の通知簿を覗きこもうとする。俺みたいに、底辺をはいつくばっている人間は、自分の通知簿をなんとか見せまいと、共通の知人の通知簿を勝手につけはじめたりして、話題をそらすことに夢中になる。本当にロクでもない。
 
 いや、本当にロクでもないのは俺なのか。