吐き気のする風景

東京都調布市の市立小学校で昨年十二月、食物アレルギーのある五年生の女子児童が給食後に死亡した事故で市検討委員会は二十三日、再発防止策に向けた報告書を長友貴樹市長に提出した。これを受け女児の両親は談話を発表。この中で、事故につながった女児の「おかわり」は、クラスで目標としていた、給食の食べ残しをしない「完食記録」に貢献したかったからだと、同級生が新盆の際に泣きながら教えてくれたことを明らかにした。

 
 こんなことがまだ続けられていたのか驚愕し、こんなことさえ予防できない日本では、俺みたいな、法律さえ守ればあとはほっといて欲しいみたいな、タイプの人間は生きづらいのも当然か。なんて思ったけれど、俺はそんなこと言える資格はあるのかとも思う。こんな被害者ヅラ、他人ごとヅラする資格はあるのかと。
 
 同調圧力は暖かい毛布のようだ。毛布にくるまれ、包み込まれる感覚。だけどその包み込む圧力は均質で、人によって力が加減されるものじゃない。だから人によっては大変心地よくても、人によっては息もできないくらい苦しく感じてしまう。それこそアレルギーなんかもっていた場合は大変だ、包み込まれる安らぎどころじゃない。それは本当に個人によって違うんだと思う。
 
 俺の場合はどうだったろうか。
 
 中学生の頃、新しい制服に袖を通した時、俺は均質化する社会の一部になれという圧力を感じ無かったか。初めて中学校に登校した時、学校を目指す生徒の波がまるで人間性を制限された動物の群れのように見えなかったか。廊下、教室、職員室、トイレ、あらゆるところに同調圧力を感じ、それに吐き気し、逃げ出したかったのではなかったか。やりたくもなく何も面白みを感じない文化祭、なんだか頭が軽っぽの動物達が群れをなして暴れてる体育祭。否そんな大げさな行事でなくてもいい。毎日の昼休憩。一緒に御飯を食べる仲間を探すクラスメイトのキョロキョロと動く目にある種の狂気を感じたんだった。
 
 こういう風景はどういう理由で誰の要請で維持されているのか俺にはよくわからない。
 
 だけどそういう吐き気を催すような風景を未来で塗りつぶして見て見ぬ振りをしたのは誰か。見なくても催す吐き気をやり過ごすために必死に身体に鞭打ったのはどこのどいつか。俺は順応することも出来ず、かといって反発しきることすらできない弱い個人であったのだ。ピエロになるしかなかった。生き残るためには。そういう圧力をやり過ごして自由になるためには。もう少し大人になれば、自分ひとりでできることも増えて、ちょっとずつだけど自由になれるとそう思っていた。だから高校、大学と押し寄せる同調圧力の波をなんとか乗り切った。
 
 そして世間的に大人といわれる年齢になった今、相変わらず、あの頃みたいにスーツという制服を着て、上司のいうことに従って、職場の空気を乱さないように息をひそめている。相変わらず同調圧力は消えてくれず、生きづらいということには変わりない。状況はひどくなっているかもしれない。年齢を重ねる度に未来が消えていく感覚を覚えるようになってしまった。だけど、あの吐き気、視界に捉えるものに対して感じたあの吐き気はしばらく感じていない。
 
 これを大人になったというのか、ただ社会に順応したというのか。思春期、反抗期が終わり、中二病が完治した結果なのか。見てみぬふりをし続けて、いつの間にか圧力を生み出し、利用する人間にすこしずつ加担してきた結果なのか。俺にはよくわからない。
 
 だけどぼんやりと思う。この俺の頭の悪さ、徹底的な無自覚こそが同調圧力が消えない理由ではないのか。被害者であった俺は無自覚の加害者となり人を苦しめているんじゃないのか。絶対にそれをやっていないという自信はあるだろうか。
 
 あの時の俺を苦しめていたのは他でもなく、こうして同調圧力に無自覚に加担する未来の俺で、俺は未来の俺の姿に吐き気し、なんとか視界からその姿を消そうとしてたんではないだろうか。俺は今、吐き気のする風景の一部になってしまってはいないだろうか。