眠られぬ俺のために

 ヒルティの話ではない、俺の話だ。
 
 明日は朝早く家をでないと行けないのに俺の身体は寝ろといっているのに俺の頭は寝ようとしない。寝ることすらままならない。そんな俺。ああ明日目覚めて仕事に行きたくない。そんな俺。自分のことすらままならない人間が仕事で人のために何かできるんだろうか。こんな人間は早く死ねばいいのだろうか。他人のために何かしたい、そんな気分が全く湧いてこない。そんな俺はおかしいんだろうか。ただただ自己中心的な、自分のことしか関心がない俺。吐きそうなほど自己愛の腐臭がする俺。夢は宝くじ一等。そんな俺。俺、俺、俺、俺、俺。
 
 こんな俺に関心をもたれる俺は非常に鬱陶しくてやってられなくて、たまには他人に関心をもったり、関心をもたれたりしたいと思うこともある。だからなんだよ。
 
 そんな俺を俺から開放してくれる、そんな場所を求めて俺は俺の生まれた土地から飛び出してはるばるここまでたどり着いたけど。やっぱり俺は俺で、俺から逃れることが出来なかった。そしてまた、俺から逃れるためにどこかにあるかもしれない理想郷を夢見ている。勿論そんな理想郷はあるわけない。現実を上手く生きていくためには現実をみない俺と正面向き合って対話していくしかない。妥協していくしかない。そんなことはわかっているんだけれど。人生長くてあと60年。理想郷を夢見て生き続けるにはそんなに長くないのかなって思ったりする。だから逃げて逃げて逃げて逃げ続けてみたいと思うことがある。できるかどうかわからんけれど思うことがある。
 
 そんな日常的に不自由な俺も映画を観たり本を読んでいる時は自由になる気がする。それは絶対的に受け身な経験。俺が俺でなくなって俺が映画や本の一部になって。俺から逃れることが出来るそんな経験。
 
 
 早稲田松竹へ映画を観に行っていたのは、自動車整備工ではない、年少出身者でもない家族や勤め先も知らないもう一人の戸田吉生だったんだと思う。映画館の暗がりに坐っている時間と、仕事に関係のない本を開いている時間だけは、本当に自由だものな。
 
                                               高村薫『冷血』P217
 絶対的に受け身な経験。それが俺を自由にしてくれる。そんな瞬間だけ自由でいられる。それがずっと永遠に続けばいいとなんど思ったか。ずっと映画を観て本を読むそんな許しが欲しいんだ。ただそうしていていいという誰かからの承認が欲しい。今のところ、いや永遠にそんな人は現れそうにない。
 

冷血(上)

冷血(上)

冷血(下)

冷血(下)